"さかもと あーかいぶ"を作ってみたい 2025.5.7 wed
- Yuuki Toyoda
- 3 日前
- 読了時間: 5分
"令和2年7月豪雨REBORNプロジェクト"として水損ネガのレスキューするボランティアを立ち上げました。その後のご縁で"東儀一郎アーカイブ"として、新たに東邸に眠っていた昭和30年代前後の写真をデジタル化、展示などを行いました。
そこで一旦つまづきました。でもやっぱりどうにか…どうにか…と心残りばかりが蓄積してくものの、いかんせん動く気になりませんでした。
そして、本来自分の仕事として取り組んでいる黒岩での撮影が来年で10年が経ちます。最初にまとめた3年目。10年後、変化しているだろう集落をもう一度まとめたい、と思っていた時には、本当に10年後まで撮っているなんて思っていませんでした。今回も、間が度々あくように、一度は波がやってきて耐えきれずに沈んでしまうようです。だけども、海の底でずっと、ずーっと沈澱したまま流されずにあるもので、どこかで自分の力で立ち上がって陸地へ向かわないことには何事も動きません。近隣の中には自分たちでどうしようもないからと言って、"あいつは逃げた"と他人のせいにする人間も少なからずおり、頭を抱える事例が最近続きましたが、自分たちで、自分でまずは行動しなければかわりません。
とは言っても両方一気に進められるほど、器用ではないので、まず今年は黒岩の撮影を。仕事中(以前でいうバイト時間)に坂本町で、まずは場を知り、ニーズを探り、人と繋がりを広げていこうと、4月から環境を変えました。
結果からいうと、黒岩で最初は"怪しいよその人"から"カメラさん"になり、"ゆうきちゃん"と名前を呼ばれ、自然と撮影できるようになるまで時間を要しました。それでも、撮影当初にまだご存命だった90代半ば〜後半の行商や村行事が残っていた時のことを一番よく知っている世代には「自分たちは話せることはないんだ」となかなか聞くこともできず、私自身も経験が浅過ぎて何をどう聞けば話しやすいか、取材自体もどう進めるものか手探りだったので聞けず悔しい思いしかありません。今では80後半〜90前半が年長組で、知ってはいるものの子供の頃の微かな記憶だったり、わからないままである場合が大半です。だけどもそのまま、今聞けることまでを残せたらと、全戸聞き取りやポートレート撮影をしています。10年経って話を聞いていると、自分も多少は経験値から要領も得ましたが、相手が気兼ねなく話す、話し方の変化を感じます。時間はかければいいわけではないものの、今思うことは、この10年、その間の空白を含めてここで撮影するには必要な時間だったと思います。もう一踏ん張りしたいところです。
話はそれましたが、そうした経緯で、一番早く地域に入れるだろうと、そして黒岩の取材を全力で進める一方で、そこに負担にならないように両方が進められるだろうと協力隊なるものになりました。黒岩とは地域性や撮影のテーマも違うので当然ですが、やっぱり入りやすさは感じます。
本題ですが、その2つのプロジェクトを通し、故・本村孝夫氏、故・東儀一郎氏の二人の写真を保存。今回はさらに、坂本町全体に広げ、主に昭和30〜50年代、坂本町の最盛期(※町の景観や風物が残るものは年代関係なく検討)の写真を収集し、最終的には、町全体での企画を考えていきたいと思っています。まずは、写真の収集、デジタル化、現地調査など地道な活動です。地道、でありつつ何より地味ですが少しずつ進めたいと思います。
"あーかいぶ"ーどうしてひらがな表記か?
活動をしてきて、アーカイブと説明しても"あーかいぶ??"と語尾に?がつくことが多く、アーカイブというもの自体がなんなのか?専門家ではない一般には認識が難しいということを感じてきました。
だけども保存して終わり、とするのであれば専門性の高いいわゆる通常のアーカイブの制作でいいのですが、地域写真のアーカイブは地元や一般の人に大事にされて息を続けられるものだと思っています。
坂本町の自治会でも町に必要なのは"地域おこし"ではなく"地域のこし"だと話すように、残す重要性は感じるものの、ではそれが実際どう活きるのか?
自分たちのもう存在しないいつかの日のために、とは体験も想像も実感しずらく、何より、住んでいる人にとっては当たり前すぎてなんの役に立つのか?不要不急に感じずらい。私自身も、水害を機に一気に進む人口現象や変わっていく景観を目の当たりにし、再度残すことの重要性を感じますが、説得力のあるプレゼンをするには体現していくことでしかないと思います。
「みんな人に飢えています」
前回の活動である自治会長が言った言葉です。人と人がすれ違うすら珍しくなった町で、立ち話することなどコミュニケーションも同様に激減しています。ただ、山で生きてきた人たちは、町の若者より生きる知恵を持ち、元気です。当初、認知症予防に集まる場をと思っていましたが、それも一つかもしれませんが、ちょっと失礼だったなと反省することもあり、まだまだ私たち世代が知恵を学ぶことばかりです。人と人との交わりが生まれるような活動自体がコミュニティになればという思いがあります。
町で、住民、地域外の人を巻き込みつつ、地域の現状とニーズを考えながら参加型の企画を行い、体験することで関わったそれぞれの人と、坂本町独自の"アーカイブ"なり"archives"の形に変換していけたらという願いから、変換前のひらがな表記にしました。
アーカイブが残っていくために。活動をし続けることが一番ですが、それにも限度があると思います。最終的な目標に、ピリオドの設定は必要です。どこか公共の場で公開し続けれらるような形と書籍を作ることまでをピリオドとして、そこに向かえるように、関わる人が自分が、自分たちの…自分事にできるような活動の仕方ができればというのが願いです。
たくさんの協力から今まで活動してこれたように、これからもいろんな方の協力があってこそ進めれる活動なので、今後もぜひよろしくお願いします。
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